見守ること、元気をもらうこと:第117話「歌声はスミレ色」再論

この記事は、アイカツ!Advent Calender2017の20日目の記事です。

こんにちは、山田由香だいすきおじさんです。脚本家 山田由香の仕事としては、たとえば超絶技巧として知られる第62話があります(いちそら学序論 I アイカツ!62話における風沢そらの心理 - 末吉日記」を参照。「いちそら」というのはちょっとミスリーディングで、実際にはたんなるカップリング論ではありません)。しかし、第117話も負けていない。以下ではたぶんファン人気も高いはずのこのエピソードを「見ること」という観点から分析します。

これはなにも「手頃な手法や観点で分析してみたよ」というのではありません。このエピソードにおいて「見ること」は本質的な要素である、これが私の主張です。それによって絶妙に描かれるのは、成長というプロセスの一形態です。人は必ずしも押し付けられたりショックを与えられたりして変化するのではない。むしろそっと「見守られる」ことによって、じっくりと自分の決断を醸成させるということがありうるのです。また本論では少なくとも、このエピソードが「得意なこと」と「好きなこと」をめぐる縦糸と、「見ること」をめぐる諸要素から成る横糸の複雑な絡み合いによって成立しているということは示せたらと思います。私の最終的な結論を認めてくれるかどうかはさほど重要ではありません(認めて欲しいが)。むしろ、この作品がもつ尋常ではない奥行きに気づいていただけたらそれで幸いです。

反復される「大空お天気」

【117:歌声はスミレ色】において一見して目につくのは、大空あかりがお天気キャスターとして出演する天気予報番組「大空お天気」でのあかりの決め台詞が、きわめて効果的に反復されていることである。以下ではまず、そのなかで見る/見られる、見守る/見守られる、そして見送る/見送られるという関係性が複雑に反転され、かつ変容させられていくことを示す。

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スミレに見送られるあかり(図1)/大空お天気(図2)/スミレが見るホログラムに映るあかり(図3)
(C)BANDAI NAMCO Pictures Inc. (C)TV TOKYO
動画配信サービス「あにてれ」より引用(以下の図も同様)

まずは冒頭。「大空お天気」の初回放送のために早起きするあかりを見送るために、スミレも同じ時間に起きる。「だって今日はあかりちゃんがはじめてお天気キャスターする日だもん。ちゃんと「いってらっしゃい」って言いたくて」。心しておきたまえ。このエピソードの仕掛けは開始30秒の時点から始まっているのだ*1。〈見送り〉という関係は重要な要素の一つである(この〈見送り〉という表記によって「見送り」と「見送られ」をともに表現することにしよう)。見送ってくれるスミレに対して、あかりはポーズを作りながらこう答える(図1)。

「通勤通学気をつけて。いってきま~す!」

ただ出かけるだけというのになんなんだそのかわいいポーズは! このポーズと台詞はじつは、「大空お天気」での決め台詞があらかじめ反転されたバリエーションとなっていることがすぐに判明する。続く番組の収録現場でのシーンの終わりでも、あかりはポーズを作りつつこう言って視聴者たちを見送るのである(図2)。

「それでは、通勤通学気をつけて。いってらっしゃ~い!」

すぐさまこのカットにホログラムのエフェクト(解像度が少しぼやけ、横縞が入る)が重ねられ、場面はスターライト学園の食堂に移る*2。ほっと息をつくスミレとひなき、珠璃が映され、彼女らが固唾を飲んで大空お天気の初回放送を見守っていたことがわかる(図4、図の提示が前後していて申し訳ない)。このことはひなきの「やっぱりあかりちゃんって、何が起こるか目が話せないよね~」という台詞からも察せられる。

反復は差異をともなう(そうじゃなきゃ同じものが2つあるだけだものね)。二回目の「大空お天気」では何が起こっているのかをしっかり見なければならない。はじめのスターライト寮の部屋のシーンで示されたのはたんにスミレからあかりへの〈見送り〉の関係でしかなかった。しかし今度は、あかりが視聴者を見送り、かつ反対向きに氷上スミレ・新条ひなき・紅林珠璃たちがあかりを見る、あるいは見守っているのである。この〈見守り〉関係は〈見送り〉関係と共存しうる、すなわち互いに重ね合わされうるような新しい関係である。ところで、この〈見守り〉はたんに「見ること」とも等しいような、弱い関係であろう。というのも、〈見送り〉は互いがそれを自覚するにせよしないにせよ、つねに見送られるものはなんらかの積極的な作用を受けているといえるが、このエピソードにおける〈見守り〉は見られる側がほとんどそれに気づかないという事態でしか表現されていないからだ(後掲の図4〜6を参照)。

重ね合わされる関係はこの二つだけではない。あらたに付け加わるのは、「元気にする」(あるいは他方からすれば「元気になる」)関係である。本稿ではこの関係を〈元気贈与〉と呼ぶことにする(適当なラベルが思いつかなったので……)。同じシーンで紅林珠璃は、例の三連続ショットにおいて以下のように見得を切る。

「いい感じだった!」
「あの笑顔でいらっしゃいって言われたら!」
「朝からアツくなれる!」

珠璃のこのくだりは、〈見送り〉と〈元気贈与〉もまた重ね合わせが可能だということを示している。すでにこの一つ前のエピソードである【116:大空JUMP!!】では、番組を見ている人を元気にしたいというあかりの願いが表明されていたことを思い出してほしい。ここではそれが再び強調されているのである。そう、紅林珠璃がたんなる面白キャラだと思ったら大間違いなのだ。こうして、この時点ですでに見送り・見守り・元気贈与という三つの関係が出揃っていることになる。

これがさらに三回目の「大空お天気」によってさらに反転させられることになる。シーンは飛ぶが、今度はスミレが歌のオーディションを受ける日の朝である(図3と図5)。一回目とは異なり、今度はスミレの方があかりに見送られている。そしてこのとき、「大空お天気」を見る=見守るという行為が、今度はあかりからエールをもらうという関係へと反転しているのである。つまりここにおいて、あかりとスミレは〈元気贈与〉の関係にあるということだ。ホログラムのなかのあかりに対して「いってきます、あかりちゃん」と微笑むスミレ。彼女はあかりを見る=見守ることによって、あかりからの見送りと元気を受け取ったのである。

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あかりに「何が起こるか目が離せない」三人(図4)/オーディションの朝(図5)/スミレを見守るあかり(図6)
(C)BANDAI NAMCO Pictures Inc. (C)TV TOKYO

冒頭での、あらかじめ反転させられていた一回目の「大空お天気」は、二回目で〈見送り〉と〈元気贈与〉の文脈を付与され、三回目にいわば正位置に戻り、あかりによるスミレに対する見送りと元気贈与が成立するのである。最初にあかりが出かける際にわざわざポーズを決めた違和感も演出としてここに結実し、そして前エピソードでのあかりの願い(あるいはやりたいこと)はここに一つの成就を見る。美しい。美しすぎるぞ。

背中を押すのではなく、見守ること

なぜこのような細かいことに注目するのかと訝しむ者もいるかもしれない。「こいつはまさか、構造主義批評の真似事でもやりたいのか」などというように。それもできなくはないと思うのだが、私の目的はそこにはない。私はむしろ、これはこのエピソードで意図的に仕組まれた演出であると考えたいのである。この回はまさに様々な仕方で「見る」「見送る」「見守る」という仕方で人を応援し、応援されるするということが主題になっていると考える。そして、この主題・演出は117話を構成する本質的な要素だというのが私の主張である。というのも、この演出によってこそ次のことが表現されるからである。すなわち、この回はたしかにスミレが決断する話ではあるが、それはなんらかの刺激を与えられることによって変化した=成長したという話ではない。むしろ、スミレの本質が表現されうるようにと、周囲が見守りとささやかなエールによって微妙な傾きを与えることによって、いわば彼女自身が勝手に決断し勝手に前に進む話なのだ*3

以上で示した「見ること」をめぐる演出は、この話の中心となっている氷上あずさの見守りと密接に結びついている。〈見守り〉はきわめて弱い関係であるとすでに述べた。それは見られるものを直接的に突き動かすこととは異なるのだった。氷上あずさはそのような「見守ること」によってスミレをサポートしてきたのだし、これからもそうするつもりだと語る。

あず「そっかあ、スミレ迷ってるんだ(...)」
あか「あずささんが背中を押してくれたら、きっと、スミレちゃんも歌の道に進めると思うんです」
あず「それはどうかな」
あか「えっ」
あず「あの子、ああ見えて自分のことは自分で決める子だから」
あか「でも、スターライトに行くように勧めたのは、あずささんですよね?」
あず「決めたのはスミレ、おとなしいあの子が、アイドル学校でやっていけるか心配だった。それがいまも続けていられるのは、あかりちゃんみたいな大事な友だちができたからっていうのも大きいけど、自分で決めたことだったからだと思う」
あか「えっ」
あず「お姉ちゃんは、妹をじっと見守ることにする」

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「背中を押して」あげてとけしかけるあかりと「見守る」とだけ言い切るあずさ(あかりの軽い困惑に注目)
(C)BANDAI NAMCO Pictures Inc. (C)TV TOKYO

あかりはきっと、スミレは本当は歌いたいと思っているのにそれに踏み切れていないと考えたのだろう。そこにエンパワメントを介入させれば、つまりなにかのゲージをぐぐっと上げてやればスミレは本来の目的に向かうはずだと思っているのだろう。あかりはなるほど、なにかに挑戦したいと思い実際に取り組む中でやりたいことを見つけ、それを得意なことにしていった者である。つまり、彼女にとって得意なことはあとからやってくるのであり、スミレのような逡巡がそもそも無いということだ。

それだけに、あずさの返答にあかりは戸惑う。え? グイグイ押したればええやん。あいつ好きなこと決まっとるのやろ? そもそも、昔スターライト学園へと背中を押したのはあずささんじゃなかったのか? たしかにスミレにはそう聞かされていた*4。だが、違ったのである。じつはあのときも氷上あずさは、スミレ自身が決められるように促していただけだった。お姉ちゃんに勧められたからではない。すでに自身によって一度決断はなされ、その決断によってこそスミレはいまもスターライト学園でアイカツ!し続けられているのである。では、スミレは実際にはどのような声をかけてもらったのだろう。この答え合わせの前に、スミレの逡巡が辿る経過を見ていこう。

得意なことから好きなことへ

冒頭からスミレは「得意なこと」を見つけなければと思いつめている(図7)。彼女はずっと得意なことに縛られ続ける。そして、ひなきが何気なく言った「あかりちゃん、しっかりやりたいことを見つけたね」という言葉にハッとして(図8)、好きなことや、やりたいことを目指すという契機について確認するも、やはり得意なことをしなければという観念に囚われている。だがおそらく、本当に「やりたいこと」はすでに彼女のなかでちゃんと決まっているのである。たとえばスミレは、写真のプロが言った「モデルに向いているね〜」という言葉に浮かない表情を見せたりする(図9)。頬を染めてスミレを讃える水谷郁子の声も、彼女を心から喜ばすことはない(図10)*5出来レースのモデルオーディションに行くか、歌のオーディションに行くか。同日開催のため、スミレは二者択一を迫られる。しかし、スミレの「やっぱり、イメージモデルの仕事を受けたほうがいいのかな」というつぶやきには、「本当は歌のオーディションを受けたいけれど」という枕詞が聞こえるようだ。そう、答えはすでに決しているのだ。行けぇ! 歌の道に進めぇ! 心の中のノスタル爺が叫ぶ。

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「私も見つけなくちゃ、私の得意なこと」(図7)/あかりは「やりたいこと」を見つけた(図8) /モデルには「向いている」というけれど(図9)/商品のイメージに「ぴったり」!(図10)
(C)BANDAI NAMCO Pictures Inc. (C)TV TOKYO

中盤の就寝のシーンでスミレは、歌は「好き」だけども、それよりもプロが認めてくれることの方が自分の「得意なこと」なのではないかとあかりに言う*6。このときのあかりの「そうじゃないんだけどなあ」という顔を見よ!(図11)極めてつけにスミレはこう言うのである。

「あかりちゃんがお天気キャスターのお仕事に進んだみたいに、わたしもモデルに進んで見ようと思う」

これは完全にズレている。あかりはお天気キャスターが「得意なこと」や「向いている」ことであるからその仕事に進んだのではない。このことは前話【116:大空JUMP!!】を観た者なら誰でも知っていることだ。そして、ひなきだってよくよく話を聞けば、彼女は「得意」だからファッションに向かったのではなくて、「好き」なファッションに向かって頑張ることで、「ファッションなら新条ひなきってくらいに得意になりたい」と言っているのである*7。つまり、彼女らの発言においては、「得意なこと」に対して「好き」や「やってみたい」が先行しているということだ。ぜひ見返してみて欲しい。その細やかさに気づいて震えて欲しい。

でも、おそらくスミレだって、このことはよくわかっていたはず。というのも、あかりに作ってもらったお姉ちゃん特製ハーブティーを飲みながら、ついに「好きなこと」へと進む決心をしたスミレは実際にこう言っているからだ。

「あかりちゃん言ったでしょう。お天気キャスターのオーディション受けるとき、これがいいって思った自分の気持ちを信じて、進んでみようと思うって。(…)ありがとうね。自分の気持ちがわかったの、あかりちゃんのおかげだ」。

この流れでのあかりの「それや!」という顔を見よ!「得意なこと」から「好きなこと」への転換をめぐって、スミレがあかりに正反対のことを帰しているのは非常に面白い。ちなみに、お天気キャスター云々の台詞は今回のエピソードの中にはない。つまり、これは過去のエピソード(【116:大空JUMP!!】)の参照ということは明らかであるものの、なぜそれがここで参照されるのかはまったく明示的ではないのである*8。それもそのはずだ。あかりはスミレの決断を促す直接の契機ではないからだ。スターライト学園への入学がお姉ちゃんのおかげだと見なしたのと同様に、今度はあかりちゃんのおかげだと見なしたということだろう。

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「そうじゃないんだけどなあ」の顔(図11)/「それや!」の顔(図12)
(C)BANDAI NAMCO Pictures Inc. (C)TV TOKYO

では、スミレの決断を促したのはなんだったのだろうか。それこそが、数々の小さなエール、あるいは「見守り」なのである。ひなきがヒントをくれたこと、教師が喉を気遣いレッスンを中止してくれたこと、光石織姫が黙って決断を待ってくれたこと、あかりがお姉ちゃんの特製ハーブティーを作ってくれたこと、お姉ちゃんがじっと見守ってくれたこと、ジョニー別府が一緒に謝罪に同行してくれたこと、オーディションの朝にホログラムを介して見送ってもらったこと、そうして元気をくれたこと。このなかに、決定的にスミレを変化させるものは何一つない。しかし、何一つかけてもならなかったと、そう感じるはずだ。

そのなかでも中心となるのはやはり氷上あずさの「見守り」である。お姉ちゃんの特製ハーブティーによって、人に認められる以前から歌を愛していた自分と、それを見守ってくれたあずさの姿が想起される。記憶のなかのあずさは言う。「スミレの声、とっても綺麗。幸せな気持ちになっちゃった」。どうだろう。もしあなたに弟や妹がいたとしたら、こんな言葉をかけられるだろうか(私にはとても難しい)。しかし、ともかく氷上あずさはスミレの歌に関して、本当に絶妙なエールを彼女に送ったのだと言えよう。背中を押すまではいかないが、スミレがもともとやりたいと思っていたことを見出しそこに進めるようにしてあげるような、そんなささやかなエールである。それはたとえば、「歌が上手だからそれを活かしてアイドル学校に通うといいよ」というような言葉ではありえなかったはずだ。損得を度外視して好きなこと、やりたいことへの一歩を決断させること。それがたとえ不安のあるものでもただ見守ってやること。それは、背中を押してやることではない、だが決して、なにもせず沈黙することでもない。この絶妙な、それ自体はとても弱い関係としての〈見守り〉が、スミレが自分で決断するそのときを、そして過去に決断してきたというその強さを確認するその瞬間をじっと待ち構えたのである。こうしてスミレは、いわば勝手に、自分自身の本質を折り開いていったのだ。

結論:勝手に救われることと見守り

私はつまりこう言いたいのである。この回でスミレは勝手に救われたのだと。この回でスミレが成長したか、成長しなかったのかという問いはあまり意味をなさないと思う。それは定義の問題であろう。ただ、決断に至るまでの醸成の時間、このきわめて地味な、だが確実に飛躍であるようなある傾きのことを、私はやはり成長と呼びたいと思う。それは確かに、なにかにぶつかって大きく考えを変化させたとか、アイデンティティを揺らがされたとかいうことではない。このエピソードはまさに彼女の歌声のもともとの力強さが、幾重もの見守りによって再び響き渡るに至ったというだけのことだからだ。

しかしそれだけに、この〈見守り〉という微弱な関係によってスミレを取り囲む演出はきわめて慎重を期して行われたものと言えよう。出来事や出会いによって人が変わるというプロットはいかにも容易である。しかし、劇的なイベントを起こすことなく、ある者が決定するまでに必要な経過と周囲のそれ自体では決定的でないサポートを描くということは、きわめて困難であるように思われる。たしかに、私がこれまでに提示した演出がスタッフたちの現実的な意図によって仕組まれたとは限らない。しかし、そうした意図を想定したとき、あらゆる要素がスミレのこのきわめて微妙な成長を表現することに収斂するのである。そして、このエピソードの素晴らしさはそれによってこうした成長を説得的に描ききったことにある*9。思えば、ジョニー別府と光石織姫もまた、スミレの決断を黙って「待つ」ということを辛抱強く行っていた。スターライト学園はセルフ・プロデュースが基本というのは伊達ではない。彼らはたとえば、「リスクを考えたら当然モデルのオーディションを受けるべきだ」などとは口が裂けても言わなかったはずだ。もちろん自分で決断した結果に失敗することもあるだろう。だがそのときでも、その決断自体を責めることはせず淡々とフォローに回っただろうと思う。万年ジャージ姿のあのジョニーがスーツに身を固めて謝罪に向かったことは、見守るとはどういうことか、大人であるとはどういうことかをまざまざと見せつけるかのようだ(むろん、喉の調子が悪いときにはレッスンを中止させるという安全弁の役目も大人の仕事である)。そしてこの〈見守り〉は〈見送り〉と〈元気贈与〉との重ね合わせによって、オーディションの朝にスミレをさりげなく力づけたことはすでに見たとおりだ*10

そう、人々はときに、見守ることによって元気をもらうのである。三たびの大空お天気によって繰り返された「見ること」をめぐる構造はこの物語のラストにさらなる反復を見る。姉のあずさはスミレからの電話を受け取り(彼女は家の中で立ってその知らせを待っていたのだ!)、その報告を嬉しそうに聴いておめでとうと言う。そして、そっとスミレの入学式のときに二人で写った記念写真を見るのである。つまり、オーディションの朝にスミレがあかりを見守り、あかりがスミレにエールを送っていたように、実はあずさもスミレを見守るとともにスミレから元気をもらっていたのだ*11。このラストはまさしく「見ること」をめぐるこのエピソードの終わりに相応しいのである*12

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氷上あずさの見守り(あるいは元気をもらうこと)
(C)BANDAI NAMCO Pictures Inc. (C)TV TOKYO

*1:「私もスミレちゃんみたいなさらさらな髪だったら良かったのになあ」「私、あかりちゃんの髪、好きだよ」という会話ですでにスミレの生得の武器が示唆されており、またこの時点で「好き」「見る」「見送り」「得意なこと」といった主要な諸テーマがほとんど提示されている。冒頭の1分22秒(あにてれ調べ)の凝縮度は半端ないのである。実感としては山田由香脚本の三十秒に含まれる情報量は野村祐一脚本の3分間に相当する(引き合いに出してすみませんでした)。

*2:このホログラムのエフェクトはアイカツ!のなかで開発された演出のなかでも特徴的なものの一つであると思う。この演出によってオフボイスとともに場面転換をスムーズに行えるだけでなく、あるカットにおいて想定される「カメラ」が「誰によるものか」(つまり、誰に見られている絵や動きなのか)という点を自然に推移させることができるのである。これについてもいずれ丁寧に論じたい。

*3:このことは108話にも少なからず言えることだと思われる。

*4:「まえに言ってたでしょう?スミレちゃんが歌うのを見てたお姉ちゃんが、スターライト学園を勧めてくれたって」

*5:水谷郁子のスミレへの執着はこれで終わったわけではない。【131:輝きのダンシングディーヴァ】で彼女は対ダンディヴァ・シャンプーをひっさげてリベンジにやってくる。

*6:「歌は好き、でも私にってお仕事のオファーがもらえるのは嬉しい。一生懸命やりたい。プロの人たちが私にそれが向いてるって言ってくれるなら、それが、私の得意なことなのかもしれない」

*7:「アイドルとお天気キャスター。あかりちゃん、しっかりやりたいことを見つけたね」「ソレイユの先輩たちを見て、私もなにか自分の得意なことを見つけたいって思った。でも、それがなかなか分からなくて」(ここでスミレの浮かない顔が挿入される)「あかりちゃんが、お天気キャスターのオーディション受けるのを見てて、まずは一歩進んでみようと思ったんだ。私、やっぱりファッションが好きなんだよね〜 だからもっと勉強したいし、ファッションなら新条ひなきって言われるぐらいに得意になりたい」ひなきはつまり、ファッションが好きだからこそ、それを得意なことにしたいと言っているのである。

*8:もっといえば、これをやりたいという自分の気持ちを信じるように言ったのは星宮いちごである。ちなみにスミレはこう言っている。「自分の気持を信じればいい、か。さすが星宮先輩だね」

*9:このエピソードの一回目の視聴で私は、素朴にとても感動した。だが、二回目三回目の視聴では、私は騙されているのではないかという印象をもった。スミレを決断に導く要因らしい要因がちゃんと描かれていないように思えたからだ。上述の見立てが正しければ、この疑念は一面の真理を捉えている。しかしこのエピソードの真の狙いはさりげないサポートとスミレの自分自身による成長を描くことにあるとすれば、丁寧に描かれた感情の流れによって導かれた一回目の視聴体験はやはり正当なものであったと感じられる。つまり「「アニメなんだから」というのを言い訳にせず、誰でも納得できるように、物語の感情の流れのリアリティーを大事にしています」という木村監督の発言は嘘ではないのだと、改めて思わされた(『アイカツ!オフィシャルコンプリートブック』学研パブリッシング, 2014年, p. 131)。まあそうはいっても、なんでそのような体験が導かれるのか、その仕掛けがどれくらいすごいのかは説明したくなるというもの。

*10:見かけの能動と受動の裏にもう一つの関係を滑り込ませる手法は、なにもこのエピソードだけに観られるわけではない。たとえばそれは、【86:マイ ディア アイドル】(山田由香脚本)においても如実に示されている。「誰かを応援すると、じぶんも頑張れるよね」という星宮いちごの台詞に要約されるように、星宮らいちは霧矢あおいを応援するために全力を尽くすことで、むしろ彼女から元気をもらっていたことに気づくのである。

*11:甘粕試金氏はここに、自分自身は平凡な生活を生きつつも、妹の容姿と歌に自分では生きえない可能性を託すあずさの賭けを見ている(cf. 「【アイカツ!】氷上スミレ三部作のこと(103→108→117話)」)。本稿の主張の多くは氏のそれと食い違うかもしれないが、あずさとジョニーをめぐる考察には頷くほかない。そしてそれは思うに、何者かが自分の思うように生きると決めたとき、必ずそれにともなう事柄でもあると思う。むろん、その影に生きる人や犠牲になる人が可哀想だなどと言っているわけではない(『シング・ストリート 未来へのうた』を観てください)。ちなみに【128:夢のショータイム】も【139:ジョニーと花嫁】も脚本は山田由香である。家族という問題系。

*12:この解釈の雛形を末吉さん(冒頭で示した末吉日記の主)に聞いていただいたところ、次のようなアドバイスをいただいた。曰く「このエピソードの主題がそれだというのはちょっと納得できる。オーディションが終わってからスターライト学園につくまでにはタイムラグがあるはずで、そのあいだに絶対にスミレはあずさに結果の報告をしているはずだから、時系列が入れ替わっていることにずっと違和感をもっていた」とのことである。すごい、どんな違和感だよ(天才か)。意図なんかにこだわらずにそのやばいアニメの見方をもっと先鋭化させたほうがずっと面白いのではないか、と思った次第。